エッシャーの階段






現実の中のかげろう











「じゃあ次は好きに動いてね」
「はあーい」
「ケイ君ははしゃぎ過ぎ」


周りのスタッフが笑って、それから馳さんはフィルム交換。俺たちはさっきグラビアモデルが座っていたのと同じソファに座っていた。雑誌に同じ服ばかり載せるわけではないので、同じ撮影所で数着分撮るときは着替えなければならない。まあ今日はひとつのブランドだけなので次のショットで終わりなのだが。アシスタントが差し出す別のコートに着替え、マフラーを変える。ほたるは椅子に座ってよじよじとブーツを履き替えていた。ブラウン・パイソンのブーツを編みブーツに履き変え、それからかぶっていたベレー帽子も脱いで脇に置く。アシスタントさんはほたるに向き合い、ぼさぼさになった髪の毛をブラシ片手に撫で付けてそれからボリュームを上げるようにセットしていた。


「あら、ケイ君。唇荒れてるじゃない」
「えーリップ塗ったよ?」
「塗っただけじゃだめよ。ご飯と睡眠、ちゃんととってる?」
「んー」
「甘いものばっかり食べてちゃだめなんだからね」


釘を刺されてほたるはうんーと小さく頷いたけれど、彼女のご忠告むなしく、今さっき、撮影前にアイスを食べたばかりだ。うんー、じゃねえよと思いながらじ、と見るとほたるはこっちを見て、ぺろ、と舌を出して笑った。コートのボタンを閉めずにマフラーを巻いて俺の準備は整い、セットのソファに戻る途中にほたるのほっぺたをつまんでやる。ひゃめてひょーと言いながら笑って見上げてきた目の下に、ふと、


「ひてて」
「ほたる?」
「へ、なに?」
「お前、ちゃんと寝てるか?」
「??なんでえ?」


疲れが。メイクで隠れてはいるけれど、疲れの色が見えた気がして手を離す。するとほたるはぱっと立ち上がって、何ゆってんの!寝なきゃ死んじゃうじゃん!と言ってから俺より先にソファにダイブ。アシスタントが髪の毛セットしたばっかなのに!と言うのを背中で聞きながら俺もソファに座る。カメラから向かって、ほたるは右側に座ったので俺は自然と左側に。結構大きなソファなので二人の間に距離が開いたが、それを埋めるようにほたるは右足を上げて俺の膝にどかり!と乗せた。その足にはブーツも靴下もなく何故かはだしで、だけど爪が、緑とブラッドオレンジのマニキュアで染められている。靴下は手に持って、ブーツは俺の前に転がっている。どれも高いものなのに、と思うがカメラマンの馳さんはいいね、ソレ。と一言。


「さすが現役美大生。構図をわかっていらっしゃる」
「えへえ」


褒められて喜んでいるほたるの足の先を眺めながら、構図云々は別として色のセンスすごいなと思う。緑と濃いオレンジって…。だけどちゃんと秋の色に見えるから不思議だ。何科だっけ、こいつ。思いながら緑に染まった指を撫でるときゃはは!とほたるが声に出して笑って、わき腹を蹴った。どかん!と、それはもう容赦なく、思いっきり。


「えーたくすぐったーいー」
「おま、…」
「あ、ごめんー痛かった?」
「笑いながら言うなあほ」


あほってゆったあー!と喚くほたるにストップをかけたのは馳さんだった。はいはいケイ君、撮影再会するよ。とまるでお兄さんのような言葉に、ほたるはあい、と短く返事をして、それから

にやり、と

悪戯しかける直前の黒猫のような瞳と笑みをカメラに向けた。ソファの上でのたのたと動き、頭を俺の膝に乗せて寝転ぶ。ブーツを履いたほうの足をソファの肘置きに乗せて、はだしの足と右腕はソファからだらりとこぼれさせ、カメラを見つめる…その前に。顎を上げて俺を見て一言。


「腕ちょうだい」
「どっちの」
「んーと、ひだり」


はいはい、と言われたとおりに左手をほたるの胸のあたりに置くと、その手を自分で自分の頬に当てる。親指で唇をなぞるようにしてやると満足そうに口の端をあげて、それからカメラを見た。俺は俺でほたるに占領されてない足をソファに上げる。ブーツのかかとでソファを踏んで、右手はできるだけ自然に立てた膝の上へ。顔はその右手にもたれさせて、ほたるを見る角度で、目だけをカメラに向けた。

笑いそうになるのは、二人ともさっきのグラビアアイドルを思い出しているとわかるから。馳さんはかまわずシャッターを切り始めるが、周りのスタッフたちはみんな作業の途中の形で動きが止まっている。目が離せない。といった感じの表情をして、息をつめてこっちを見ていた。


勝ち負けじゃない。さっきのグラビアアイドルだって同じ雑誌に載る、モデルという同業者だ。だけど俺たちと彼女には決定的に違う部分が確かにあった。ほたるもきっとわかっているのだろう。だらだらとこどもの笑顔で笑っていても、モデルと言う仕事においてはこいつはプロだ。しかも見た目だけではない。中身もすべて、極上ものだ。


最初から出すのは本気。売るのは顔や体、その前に服。
そこが、さっきの彼女と俺たちの決定的に違う部分。

…と言いつつ、ただ単に腹が立っただけかもしれない。
出せる本気を、最初からださなかった彼女に。


「ケイ君、横顔ちょうだい」
「あーい」
「それで寝てるみたいにね。瑛太くんは角度そのままの伏目で」
「はい」


この世界は過信したら終わりだ。かといって消極的では生き残れない。目を瞑った黒い世界に、シャッターの音とともにフラッシュが瞼を抜けて視力に響くそれは、この一瞬が切り取られているという確かな証拠。シャッターとシャッターの隙間に、リアルだな、と小さく呟いた俺に対してほたるが答えるように言った。


「だけど、仮想」


片目をちらりと開けてほたるを見ると、まるで本当に寝ているかのような顔で目を瞑っていて。


仮想か。と妙に納得してしまったのだった。










続いてます
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