Silent Night














「っ…あなたには慈悲というものが無いのですか!?こ、こんな惨い」
「ハ!慈悲だ?残念ながらそんなモン、とっくの昔にどっかに落としてきたんでな」


ただの肉の塊になったそれを蹴飛ばして一歩踏み出る。腰が抜けて座り込んだターゲットは、がたがたと震えながら首に下げたロザリオを握り締めていた。がちがちと歯が音を立てて、それが深夜の聖堂に酷く響く。俺の足元に転がった真新しい塊は恐らくこの教会のシスターで、運悪く俺の顔を見てしまったせいで死ぬことになった。運がねえなぁ、カミサマに仕えてたって、人間ってのはこんな風に死んじまうんだよ。儚いな、と思った。そしてとても無意味だ、とも。アーメン!あなたに仕えた可愛そうな処女にどうかご慈悲を神様!…なんてな。
しかし目の前でガタガタと震えている男は実に頼りない。ずれたメガネを気にかけることも出来ず、俺を見上げて震えている。こんな命ひとつ潰してもメリットなど無さそうな気がする。上からの命令で処分しろと言われ、先日大富豪の暗殺に失敗してしまった俺は是も否もなくそれに従っているのだが、しかし普通なら政治家だの権力者だのというそれこそ殺される理由たっぷりな奴を相手にする筈なのに…。なんだ?この殺し甲斐のない男は。こんなに弱弱しい聖職者を振り分けられるなんて、俺も見限られたのだろうか。でかい獲物は無理だと判断されてしまったのだろうか?そう考えると腹が立つ。鎌に付いた血をぴっと払ってさらに一歩踏み出すと、ずりずりと後ずさりをして裏返った声で神父が叫んだ。


「神の前でこんな…赦されません!じっ、地獄に落ちますよ!」
「何言ってんだ、落ちねーよ。地獄とか天国とかカミサマとか、俺そういうの信じてねえから?」
「っ……なんてことを…!」


暗闇の中で顔面蒼白になった獲物が可笑しくて笑う。笑い声は聖堂中に響いた。それをさえぎるように、聖職者が叫ぶ。歯の根が噛み合っていなかった。


「名を、名前を名乗りなさい!神の前で、名乗りなさい!今に裁きが下ります!名、名前を…ッ!」
「名前?いーぜ!じゃあ天国への土産に教えてやるよ!俺の名前は、ドゥエイン・アーノルドだッ!」


ぶんッと鎌を奴の首目掛けて振り落とす。首が飛び、血が噴出して依頼は完了する…筈だった


「…!?」


が、しかし手ごたえがない。俺の声の余韻が残る聖堂の中にカララン、と何かが落ちた音がする。なんだか固いものだ、薄い鉄が石の床に落ちたような音が…。薄い、鉄…?

手元を見る。握っていた筈の鎌がない。
それどころか手がない。

手がない?

手が、手が、





手首から先が。




「う、あ、あああああああああああああッ!!!!!?」
「だからほら、裁きが下ると言ったでしょう?」
「ああ、あ、あああ…っ」
「神様はちゃあんと見ていらっしゃるんですから、言葉には気をつけないと」
「おま、おまえは…」


見上げる。さっきまでガタガタと震えていたはずの聖職者がすっくと立ち、ずれたメガネを押し上げて微笑んでいた。どういうことだ、どういう、ことだ。痛い、いたいいたいいたいいたいいたい!!!!


「ほら、アリス、もう良いですよ起きても」
「あぁ、服に埃が…やはり掃除しないといけないみたいですね」
「そうだねえ、今度町の皆さんにも声をかけてみましょうか」
「お、まえは、おま、だ、誰だ!?おまえは、た、ただの神父じゃ…」
「ええそうですよ。ただの神父です。でもだめじゃないですかドゥエインさん、ちゃんとターゲットを殺す前に、私のように名前や見た目をきーっちり確認しないと」
「へあ…」
「前回の話ですよ。あなたターゲットじゃなく、間違って影武者を殺したでしょう?しかも証拠を残すようなヘマまでして…。そういうの、組織からすればお荷物なんですよねえ」
「な、な、」
「ご存知でしょうが私はミルトン・バレンタイン。この子はアリス・リプトン。ご存じないですかね?ミスター・チョコレートと、ミス・レモンティー…」


にこり、と二人並んで俺を見下ろす。そんな名前の奴は知らない。力なく首を振るとミス・レモンティーと呼ばれたシスターは屈んで俺の顔を覗き込んできた。真っ黒の長い髪が床について、俺の手から出た血溜まりに触れる。目が金色に輝いていた。レモンのような色だ。


「私たちは掃除屋のお掃除屋さんなんです。削除したい部下が居れば、組織はその部下に私たちを殺せと命令する…。あなたは組織から切り捨てられた丁度200人目の人間です」
「ああ、ああああ」
「おお、ピッタリじゃないですか。良かったですね」


ちゃき、と音がする。肩が揺れる。歯が浮いてがちがちと音を立てる。眉間の間に突きつけられたそれは紛れもない銃だ。それから発射されるのは重い鉄の塊だ。引き金を引いてから1秒後には俺の頭には穴が開いているだろう。死ぬ、のか。死ぬのか俺は、死ぬのか?死…


「っだ、い、やだ、」
「おや?」
「いやだ、いやだいやだ、い、死に、死にたくない、死にたくないっ助けてくれ、たす、たすけて」
「あらあ、命乞いですか?さっきの威勢はどこへやら…」
「お、おね、お願いだ殺さないでくれ殺さないでくれ、あん、あんた神父だろ、じ、慈悲を…」


笑った顔が見えた。


にっこりと、裂けそうなほど口の端を吊り上げた笑顔が。


ド、と衝撃が体中に響いて高い高い天井が見えた。


そこに描かれた絵、



天使、雲、





その真ん中に―――








++









「慈悲ですって。バレンタインさま、お持ちで?」
「さあ、どうだろう?…一思いに殺してやる、このやさしさこそが慈悲だと、私は思うけどね?」
「ごもっともで。哀れな男にどうか安らぎを。アーメン」
「アーメン」







――――― 暗転。













大学の課題のひとつ
お題は「どこかに落としてきたらしい」
深く考えたら負けです(滅