Sweet Night














「ばっか!さいてー!成治の馬鹿!ばかまぬけせーたかのっぽ意地悪ケチ!!」
「おいまて、みずほッ!」


赤信号で止まっていた車の中から飛び出して、力いっぱい投げるように車のドアを閉めた。バン!と音を立てて閉まったその隙間からみずほ!ともう一度私を呼ぶ声がしたけど振り返らなかった。知らない。成治なんか知らない。成治なんかどっかそこらへんを寒い格好で歩いてるギャルとかにおっぱい触らせてもらえばいいんだわ!もう私は指一本触らせてやんない!プップー!とクラクションを鳴らされて車が発進する音がして、私は走ってオフィス街の角を曲がった。帰る。早く帰ろう。帰ってゲームとかして、全部忘れよう。ムカムカしながら冬のイルミネーションの中を一人で歩く。キラキラした夜の中は寒くて、なのに通り過ぎる人はみんな幸せそうに笑ってる。むかつく。みんなみんな不幸になれば良いのに。私だけこんな気持ちなんて不公平すぎる!隕石が落ちてくれば良いのに!
道路の脇に止まってた、てっぺんに「個人」って書いたランプみたいなのがのっかってるタクシーを覗き込むと、窓を開けてタバコを吸ってた運転手さんが私に気が付いてドアを開けてくれた。皺がいっぱいで、でもにこにことした運転手さんだった。


「お客さん、どこまで?」
「マイキーっておっきなスーパーの近くの青い看板の本屋さんのうらっかわにあるコーポレート松方っていうマンションまで」
「あぁ、月見里4丁目?」
「そう」


ブロロ、と車が発進する。タクシーの中はラジオがかかっていて、お約束のようにクリスマスソングが流れていた。リスナーの人の声が入って「今日はクリスマスに恋人と聞きたい1曲!」とか何とか言う。余計なお世話だ、と思うと悲しくなって意味もなくマフラーで口元を隠した。


「お嬢さん可愛い顔してるけど、彼氏はいないの?」
「えっ?」
「いや、今日この時間だったら大概みんなどこどこレストランまで、とかどこどこ公園の近くまでーとか言うんですけどねえ。あ、彼氏の家に行くとか?」
バックミラーに写ったおじさんの顔はにこにこで、悪意のかけらはひとつもなかった。 「ううん、帰るの。予定が入っちゃったから、今日は一緒に居れないって言われて、しょうがないから」
「あー…」


そうだったの、悪いこと聞いたね、とおじさんはちょっとだけバツの悪そうな顔をした。ううん、いいよ、と私は返す。冷たい窓ガラスに頭を預けて外を見る。暗くなってきた外はいよいよキラキラと輝いてクリスマスっぽかった。別に、クリスマスなんて恋人と過ごす日じゃないのは知ってるしわかってるけど、なんだかみんな幸せそうで、私ひとり幸せの中から置いてかれてるみたいでそれが嫌だった。なのに「ごめん、予定入って」と言われて余計に寂しくなった。ありえない。ありえない。


「おじさんは、」
「はい?」
「今日、クリスマスなのにお仕事…」
「あー…もう私くらいの年になるとクリスマスなんてなんでもなくなるんですよ」
「そう、なの?」
「ええ。かみさんも私のことなんかどこ吹く風で…きっと娘と一緒に外食でしょう」
「寂しくなあい?ひとりだけ、お仕事してるなんて」
「さあ、どうでしょうねえ」


バックミラーに写った顔はやっぱり笑っていた。それを見て、おじさんのこと何にも知らないけど寂しいんだろうな、と思った。寂しいのはやだ。幸せな人がいっぱい居るのに、なのに自分が幸せじゃないなんて寂しい。悲しくて、自分がかわいそう。別にクリスマスじゃなくったって、好きな人と、大切な人と一緒に居たいんだ。でも今日は特に一緒に居たい。おじさん、無理して笑うなんて寂しいよ。


「…電話してみたら?」
「え?」
「みんな家に居るかも。待っ…てる、かも。おじさんが帰ってくるの、ケーキ買って待ってるかも」
「いやいやいや、ないですよそんな」
そう言って青い看板を左に曲がって、コーポレート松方、という字がみえる。車はゆっくり減速して料金表がぴたりと青く光る。私はとりあえず財布を出す。
「2760円になります」
「はい」
「はい3000円ね。240円のおつりです」
「ありがとうございましたー」


車から降りようとすると、あ、とおじさんが声を出す。何かな、と思って振り返ると、おじさんはにっこり笑って言った。


「お嬢さんありがとう。きっといいことあるよ。メリークリスマス!」
「おじさんもね!絶対あるよ!」


そのとき、ピリリ、と携帯の呼び出し音が車内に響いた。私のじゃない。おじさんはびっくりしたようにポケットから携帯を取り出す。ちらりとみえた表示は「家」だった。私は車から降りてマンションの入り口へ行って、そこでもう一度だけ振り返る。車の中のおじさんは電話を耳に当ててしゃべっていた。笑ってなかったけど、なんだか幸せそうに目を細めて一度だけ頷いたのが見えた。




++




ガチャガチャと音を立ててドアを開ける。バタン、と閉めて電気もつけずにベッドに直行してマフラーもほどかずに倒れこんで息を吐いた。寒いなあーくそう。さみしい。こんな気持ちになるの変なの、って思うくらいなんだかさみしくてつらくて鼻の奥がツンとなって、それから頭の中で水が急に湧いて目からぶわってあふれ出した。ぼろぼろこぼれる涙に自分でびっくりして、持て余して、結局枕に顔を押し付ける。


「う、うぅー…」


成治の馬鹿。なんで今日に限って予定とか言うの?なんで今日に限って予定の方優先するの?馬鹿。いけず、いじわる。どうしよう、本当に別の人のおっぱい触ってたら。え、なにそれ、私、恋人なのに?クリスマスは恋人と過ごす日ってわけじゃないけどやっぱりみんな恋人と過ごして、あれ?あれれ?


「私、恋人じゃない、のかな」


口に出して、胸がぎゅうってなった。どうしよう、嫌だ。今私が泣いてるこの時間に成治が他の人と笑って手とか繋いで予約したきれいなレストランとか行ってご飯食べてケーキ食べてシャンパン飲んでたら嫌だ。いやだいやだいやだ。どうしよう。私本当にひとりじゃないの。


「っ…!」


堪らなくなってコートのポケットから携帯を引っ張り出して履歴から「成治」って表示を選択して通話ボタンを押す。プププと呼び出し音がして、それから、「おかけになった電話は、ただいま電波の届かない場所か電源が」ってオンナノヒトの声がした。電源ボタンを押す前に壁に思いっきり投げつけて頭から布団をかぶる。がちゃんと床に落ちたそれを拾う気なんてさらさら無い。ばっかじゃないの!携帯の役立たず!枕に顔を押し付ける。また涙が出てきて鼻が詰まって苦しくなった。

…このまま窒息死できたらいいのに。




++




ピーンポーンという音が遠くの方でしたような気がする。ごろりと寝返りを打つとドンドン!とドアを叩く音がした。なに、と思って目を開けるけどなんだかすごくまぶたが重たい。部屋の中は真っ暗で、うーんと寝返りを打ってから起き上がる。目を擦ってベッドの横にある時計をみると22:34。うわあ4時間半も寝てるこれ夜眠れないかも…と思ったそのとき、


「みずほ、」


ふと成治の声がした気がしてばちっと目を開ける。チャイムの音は続いていた。そしてノックの音も。成治だ、と思って玄関に走る。急いでドアを開けようとドアノブに手をかけて、けどはっとする。あれ、成治、予定があるんじゃなかったの?なに、いまさら、来て、あっもしかしてご機嫌取り?オンナノヒトとご飯食べてシャンパン飲んでケーキ食べて、それでもしかしてその後に、私のご機嫌取りに来たの?あぁもしかしてコレが俗に行くキープって奴なんだろうか。私キープされてるの?でも、そんなの全然かまわなかった。それでも良かった。もう何でも良くて成治の顔が見たくてドアを開けると、困ったような顔をした成治が立っていた。


「やっぱ居た…お前なあーすぐ出ろって寒いんだから…って、何その顔」
「え?」
「……泣いたまま、寝たな?」


まぶたすっげー腫れてる、と笑って、玄関に入り込んでくる。両手には何だか紙袋をたくさん持っていた。


「お前なあ、人の話は最後まで聞く癖ほんっとにつけろよ」
「…なに。オンナノヒトのおっぱい触ってきたんでしょ」
「は?何だそれ…や、だから、予定ってのはな」


紙袋をテーブルの上にどさどさ置く。何?と思って覗き込むとタッパーとかお皿とかケーキの箱だった。


「俺の実家がちょっと高い料亭みたいな店やってるのは知ってるよな?クリスマスは毎年年配の客が多いんだよ。で、親父に急に手伝ってくれって言われて断りきれなくて…だからみずほも一緒に連れて行こうと思ってたんだ。なのにお前勝手に早とちりして車から飛び降りるから…」


成治は解いたマフラーもテーブルの上に置いて、それから冷たい手で私のほっぺたを包みこんだ。全部ぜんぶ私の早とちりだったらしい。なんだか寂しいのが一瞬にわかんなくなってぼーっとしてると成治は困ったような顔をして「こんなに目、腫らしてさあ…」と言った。


「せ、成治のせいだ…成治が理由を先に言ってくれないから、私、」
「はいはい。俺が悪かった。…ってなんで泣くんだ…」
「だって成治他の人と女の人と一緒にご飯食べてケーキとシャンパンでニコニコして手、手とか繋いで幸せなんだって、おも、って、たんだもんー!」
「何でそんな発想になるんだ…俺の恋人はお前だろうが…」
「っだよ、ね………、え?」
「え、じゃないだろ……は?何、俺お前の恋人じゃなかったの?」


眉を寄せて成治が私を見る。なんだか寂しそうな顔をした成治の顔を見たらなんだか涙も引っ込んで、ちがうくない、と言うと成治は当たり前だ、と言ってやさしく涙を拭いてくれた。


「ほら、夕飯並べるぞ。親父とお袋がなんか別に作っててくれて、…お前が来ないって言ったらなんか妙に残念がってた。次はぜひ来てねって、言ってた」
「…ごめんなさい」
「次は一緒に行くぞ。引っ張ってでもつれてくからな!ほら、ケーキはとりあえず冷蔵庫入れといてくれ。あと皿出して」
「うん、…えへ。うんっ!」
「…何で今二回返事したんだ」


なんだか嬉しかったの、って思ってケーキを冷蔵庫の中に入れてお皿を成治に渡して洗面所に顔を洗いに行く。鏡に映った私は本当に酷い顔をしていてまぶたが2倍になってたけど、だけどなんだかとても素敵な顔をしていると、思った。

成治の横で夕飯とケーキとシャンパンを並べるのが私でよかった。タクシーのおじさんも幸せなクリスマスを過ごしてたらいい。街ですれ違った人たちも、このマンションに住んでる人も、世界中のみんなが幸せだったらいいのに、と思った私は利己的主義者だけど。


「みずほシャンパンあけるぞー」
「わー待って待ってー!」


もう何だって良かった。
だってとっても幸せだったから。
…それでいいよね?

メリークリスマス!














大学の課題のひとつパート2。
ちょっと修正しましたが大体こんな感じ。
お題は「ノックの音がした」

…最初はほたると瑛太で大学の課題じゃない普通の話を書いてたんだけど途中でなんか方向性を見失ってこっちに転換した。計画性のなさが伺える^^